第25話 本当のコミュニケーション-相手の話をどう聞くか?
「部下の話を冷静に聞けないのです。どうしても『それ変だよ』って反論して熱くなってしまいます。それでその場が嫌な空気に包まれてしまうのです。」
金属メーカーで管理本部長をされているSさんからのご相談です。
真、正、善、美、優などは価値を表す言葉です。
我々は物事に接すると多くの場合、これら価値を表す言葉が内的会話も含め自動的に発せられます。
例えば、年代物のクルマが目の前を通り過ぎたとき、
「ものを大切にして善い。」
もあれば
「いつ壊れるか分からないクルマに乗るのは正しくない。」
という反応もある。多くの人は物事に対し、ほとんど無意識にこの価値判断という反応をしています。
物事を見るあるいは他人とコミュニケーションをする際に物事や相手の発言に対しこの価値を表す部分「善い」「正しい」は本当に必要でしょうか?
このほぼオートマチックな反応と判断は必要でしょうか?
人間は身体の安心、安全のためにこの作業をしています。
この作業は物というリアルなものから他人の発言、行動、情報など全てのものを対象とします。
この作業を幼少期から積み重ねることでその場その場の状況を判断し、また経験を積み重ねる。
これが私たちの思考、行動をコントロールする信念を醸成するプロセスです。
他人の行動を目にし、例えば目の前に肘を机に立てながら食事をする人がいたら、
「この人は肘を机に立てながら食事をする人だ。」で観察をやめる。
「この人は肘を机に立てながら食事をする人だ。これは行儀が良くない。」の「これは行儀が良くない」が意識に上がりそうになったらその瞬間に我に返る。
自分の意識を常に認知し、あえて“自動反応装置”を停止させ、真、正、善、美、優の評価に進まない。
上述の「これは行儀が良くない」という無意識の価値判断作業が非言語となり外に表情として出るのです。
それを見た当の相手方には意識するしないにかかわらず「この人はワタシのことをいぶかしがっている」とセンサーが働き、その瞬間にラポ―ル(その場での信頼関係。一緒にいて心地よい雰囲気)が崩れます。
上司が部下の話を、監督が選手の話を、政治家が選挙民の陳情を聞いているまさにその時この価値判断作業は絶対になされてはいけないのです。
自分の認知行動を意識して習慣化すればこの価値判断という作業は必ず止まるようになります。
そうすればあなたは常に人の話をよく聞いてくれ、心地良い時間を与えてくれるコミュニケーターになるわけです。
まず相手の世界に入り、相手が見ているものを見て、聞いている音を聞き、感じているものを共有する。
リーダーはとにかく人の話を聞く。
価値判断を加えることなくニュートラルに相手の話を聞く、リードするリーダーがリードされる側の世界に自ら身を投じる。
神様からリーダーというポジションを与えられたあなた方に絶対必要な資質、ずばりそれが物事をニュートラルに聞く力
です。
人は物事を見て(上記の例)それに価値判断をしてしまう。だから物事を見る段階で価値判断を加えない。すなわち
物事をニュートラルに見る力
でもあります。
ニュートラルに聞く、ニュートラルに見る、
リーダーのあなた、出来ていますか?